アマルティア・センの『集合的選択と社会的厚生』を開く

II.読解のポイントを探る 【P.3 L.8】

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検討項目

位置 検討する部分 種別 訂正案, コメント
P.3 L.8 〔第2段落〕 X (基本的に第1段落の内容を詳しく言い換えたものと考えてよいと思います。)

関連項目

位置 検討する部分 種別 訂正案, コメント
P.3 L.10 社会がその中の人々に従属していると想定はするが, その従属性を抽象化し,社会が...をもっていると 単に「仮定する」ということも Y3 何らかの依存関係が存在しうるという見解も可能である。しかし,人にはそこから抽象して,社会には...があると ただ「仮定する」ことも
(→詳細
P.3 L.13 見いだす人は誰であれこの仮定を完全に歓迎するが, Y2 見いだす人は皆,それはそれでまったく結構なのだが,
(→詳細
P.3 L.15 に依存していることについて探求すること,に Y3 に対してもつ依存関係を探求することに
(→詳細
P.3 脚注L.1 採用されていたが,マルクスによって明確に否定された Y3 採用されているが,マルクスによって明確に否定されたものである
(→詳細
P.3 脚注L.2 (「とりわけ...である」(Marx(1844), p.104) の引用について) X (文献情報→詳細



  • この第2段落については,すでに第1段落(冒頭段落)の検討の際に詳しく議論しました。ここではそれらの論点を整理するに留めたいと思います。
  • 第2段落は,基本的に第1段落の内容を詳しく言い換えたものと考えてよいと思います。
    • 第2段落の最初の2文は,第1段落の第1文と対応していると思われます。
    • 第2段落の第3文(「...退屈なものにちがいない」)は, 第1段落の第2文と第3文(「...そのどちらにもかかわらないものであろう」) と対応していると思われます。
    • 第2段落の最後の文は,第1段落の最後の文と対応していると思われます。
  • 第2段落は,方法論的個人主義の立場から有機体国家観を 批判する議論が基調となっています。 ブキャナン&タロックの The Calculus of Consent (University of Michigan Press, 1962)(『公共選択の理論』(東洋経済新報社, 1979))における 同様の議論を念頭に書かれていると思われます。
  • 第2段落の脚注では,マルクス本来の社会主義で 「抽象物として『社会』を再構築すること」が否定されていたことを指摘しています。マルクスの社会主義を方法論的個人主義の側に位置づけた意味で, 『公共選択の理論』の議論と異なる部分です。
  • 第2段落の脚注で問題となっている「社会主義者」としては, 外部注入論を唱えたレーニンなどが重要と思われます。 また,本書の出版時期を考えれば,構造主義的マルクス主義のルイ・アルチュセールの議論なども念頭におかれていた可能性があるかと思います。





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[2011年8月22日 初版をアップ](最終アップデート:2011年8月30日)


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