アマルティア・センの『集合的選択と社会的厚生』を開く
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 はじめに,本書にはいくつか興味深い点があります。その中の一部は社会主義的な文脈にも関連しています。一方で,本HPの管理者はかなり自由主義的な立場ですので,著者の趣旨に関して同意しかねる面もあります。本HPを訪問して下さった皆さんも戸惑いを感じられるかもしれませんね。ですが,ここでは個別の立場を一旦離れ,まず著者の考え方を冷静に捉えていきましょう。

  • 原書の冒頭段落には an abstract motherland(抽象的な母国)という表現が含まれています。日本語でも「抽象的」とする方が判りやすかったかもしれません。中国語版の『集体选择和社会福利』(上海科学技術出版社)でも「浪漫地歌颂抽象的祖国和优化社会上任意的目标函数具有一定的共同处。」とされています。

  • 予備的注意の書き出しが,Buchnan and TullockのThe Calculus of Consentの書き出しに似ています。そして,マルクス理論への評価が肯定的に変わっています。

  • 最初のページの脚注にLefebvreのThe Coming of the French Revolutionの文献情報があります。(巻末の文献リストに入れずになぜここに書くのでしょう? また,数あるフランス革命書籍からなぜこの本を取り出すのでしょう?)著者のLefebvreがマルクス的色彩の強い歴史学者で, フランス革命をブルジョア革命と捉えて議論し,批判を受けていたことと関係があるようです。

  • 議論の途中で唐突にパキンスタン人(p.25)とオーストラリア人(p.63)の例が現れます。フランス革命関連のフランスを除けば,本書で国名が登場するのはこの2カ国と南アフリカ(p.159)のみです。

  • 本書の最後で「不純なシステム」の価値が説かれます。これと対称的な「純粋なシステム」(pure systems)の表現は,冒頭の「抽象的な母国」と呼応しているようにも思われます。
 この他,本書では,全体的にマルクスが評価される一方で,レーニンが厳しく扱われています(古参のマルクス研究者には珍しくない傾向です)。また,執筆の背景として,マルクス経済学の研究で著名なMaurice Dobbとの議論の経緯が指摘されています(p.iv)。『共産党宣言』の中に,「プロレタリアートは祖国を持たない」というフレーズがあることも心に留めておくべきでしょう。冒頭段落の意味をとらえるには,こうした点も総合的に検討するのがよいようです。


 「冒頭の段落について」の内容は概ね以下のとおりです。


 本論では,まず「母国をロマンティックに美化して歌いあげる」(singing romantic songs about an abstract motherland)の部分で,「抽象的な母国」(an abstract motherland)の表現に着目します。そして,このフレーズに,1)冷めた,もしくは反意を含むニュアンスが認められること,また2)母国としてのソビエト連邦や他の社会主義国家を指すニュアンスが認められること〔下記参照〕を説明します。 「母国」(motherland)が強い愛国心を伴う語である点,またしばしば特定の国家を指す歴史的経緯がある点が大切です。「抽象的な」(abstract)が,つづく第2段落の4行目と脚注13行目にある2つの「抽象」(abstract)の表現と呼応していると思われる点も大切です。


 「恣意的な目的関数」については,最適化のための作業を実際に行う作業者たちの目から見て,意見を集約してボトムアップにつくられたというより,トップダウンに,独断的に社会的目標が設定されている意味と解釈します。


 「共通する何か」については,「いずれの場面も,すでにパーソナリティや選好をもった社会があらかじめあって,それが個人を一部として取り込むことのみが問題とされており,個人から社会的な目標を導出する手続きが考慮されていない場面であること」とします。個人の選好や願望の違いを捨象することを踏まえれば,「全員一致性」と要約することもできるでしょう。本書の第2章のタイトルであり,これが「共通する何か」の答えであるようにも思われます〔ただし下記参照〕。


 以上を踏まえて,この本が「そのどちらにもかかわらない」については,「これらの行為」とは逆に,人々の選好や願望を集計することで社会的な目標を設定していくことに関心をもつからと議論します。


 母国(motherland)にソビエト連邦の意味を見いだす点は意外に思われるかもしれません。 この結論は,motherlandの語の歴史的経緯など,やや長い議論のうえで導くのですが,端的には以下の検索結果や資料が参考になると思います:


  1. Googleの画像検索でmotherlandを検索 すると,2010年11月3日現在,何種類かの石造の女性像が上位に検索されます。これらはソビエト連邦内に建てられた,祖国を象徴する女神の像です。 このうち最も有名な「母なる祖国像」 (The Motherland Calls) が完成したのは,本書が出版される少し前の1967年でした。

  2. 2010年11月3日現在, 自国を讃える古いソビエト連邦の歌をYouTubeで視聴できます。 ソビエト連邦が国威発揚と社会主義の宣伝にmotherlandの語を使ってきたことがうかがえます。 (関連して,第二次大戦などにおいてドイツは国威発揚のために盛んにfatherlandの語を使いました。 このため Googleの画像検索でfatherlandを検索すると,2010年11月9日現在,ナチスドイツ関連の画像が多く検索されます。)

  3. 本書が出版される少し前,1968年に事故で死亡したガガーリンは, 宇宙飛行の際にРодина Слышит (Rodina Slishit)という歌を口ずさんだことでも有名でした。 英訳するとMotherland hears, Motherland knows...と始まる歌で,モスクワやクレムリンにも言及しています。 2011年9月15日現在,この歌詞の英訳ページは見られなくなっているようですが,YouTubeで宇宙飛行当日の映像にあわせた元のロシア語の歌を視聴できます(音声は0:11から)。

 (以下の部分はまだ未完成ですが)「抽象的な母国」(an abstract motherland)は,本書の主題に関わるフレーズであり,ひとつには愛国心の強要や養成,あるいはそうして形作られた一致団結して武器を取るような社会傾向にかんする 問題意識を含んでいるものと私は思います。また,母国(motherland)は,本書を読み進めるなかで(ソビエト連邦だけでなく)アメリカ合衆国など自由主義陣営の国家も含みうるように意味あいが拡張されていくように思います。


 本書の第11章の末尾にある「『純粋な』システム」("pure" systems)の表現も「抽象的な母国」(an abstract motherland)に対応させる意図があるように思います。つまり,「『純粋な』システム」("pure"systems)は直接には著者の問題視する社会的選択のシステムに関する表現ですが,motherlandへの忠誠のような,特定の価値を重視するある種の国粋性を指す意図もあるかと思います。一方,(「抽象的な母国」(an abstract motherland)の意味が変化するように)冒頭段落の「恣意的な目的関数」は最終的に「パレート内包的な集合的選択ルール」の意味に至っていると思われます(この点は,第11章を含め,本書で繰り返しパレート原理の恣意性の問題が指摘されてきたことに注意します)。直前の第10章の議論を踏まえれば,具体的には「多数決」が特に念頭におかれたと考えてよいでしょう。11章の「『純粋な』システム」の議論では,「多数決」の価値に対する盲信や,それを中心としたある種の国粋性への批判的な見解も含まれていたものと思われます(著者はもちろん民主主義を重視しますが,多数決が真に民主的な理念を反映した決定方法か否かについて懐疑的な模様です)。


 この展開で「抽象的な母国」(an abstract motherland)の意味として主に立ち上がるのは,自由主義陣営の中心であるアメリカ合衆国でしょう。アメリカ合衆国民は歴史的な理由から自国をmotherlandと呼びませんが,そうであればこそ,an abstract motherlandのフレーズにふさわしい特徴があったとも言えるかもしれません。実際,冒頭段落の「抽象的な母国」(an abstract motherland)を「アメリカ合衆国」,「恣意的な目的関数」を「多数決」(あるいはより本質的に「パレート内包的な集合的選択ルール」,「パレート原理」)としても,第2章以降を一貫して理解できます。「共通する何か」の答えである第2章タイトル「全員一致性」は2.1「パレート基準」の意味で登場しますから,むしろより整合的です。冒頭段落には,このように,後からその意味を改めて考えさせる著者の設計があるように思います。


 著者がマルクスの社会主義とソビエト連邦とを分けて捉えている点にも,注意が必要と思われます。冒頭ではソビエト連邦について批判的に言及した印象を与えますが,同ページの脚注1からマルクス本来の社会主義の理念を批判する意味ではないことが判ります。批判されている社会主義の論者としては,まず外部注入論を唱えるなどした(そしてマルクス主義の民主的側面を弱めたとされる)レーニンなどが問題でしょう。実際,本書をよく読むと,マルクスとレーニンの区別が際立っていることが判ります。マルクスの登場部分(p.3, 83, 148)とレーニンの登場部分(p.48, 148)を比較すると,後者に対する扱いがより厳しいことが読み取れると思います。


 もうひとつ,冒頭段落ではインドの文脈も意識されていたと私は思います。例えば,本書は複数の国の逸話に言及しますが,実際に国名が登場するのは(フランス革命関連のフランスを除いて) パキスタン(p.25),オーストラリア(p.63),南アフリカ(p.159)のみです。いずれもインドとの間に「純粋性」にかかわる問題のあった国々であり(パキスタン[イスラム国家建国の観点からインドと分離独立,一方で多くのヒンドゥー系コミュニティが残り難しい問題となりました],オーストラリア[白豪主義],南アフリカ[アパルトヘイト,大英帝国時代の経緯から多数のインド系移民の存在もありました]),末尾の「『純粋な』システム」の表現に対応がよいと思われます。そして,著者が「『不純な』システム」を擁護するのには,これら各国に修正を促したい気持ちもあるでしょうし,また一部の国民に向けてインドの多文化共生的な政策方針を擁護する姿勢を示す意図もあったかと思います。


 本書における著者の社会主義や自由主義をめぐる思想の整理としては,"現行の社会主義と自由主義双方に対して批判的にコメントし,その一方でマルクス本来のより民主的であった社会主義を擁護している"ものと理解するのが適当でしょう。そして,インドについては,基本的にマルクス本来の社会主義にその将来を見出すというのが著者のスタンスであったと思われます。(歴史的経緯としては,実際,1976年にインドは憲法を修正して社会主義国であることを明示するようになりました。)もっとも,著者の構想は市場経済の役割に着目する等の点でマルクスそのものでなく,その意味ではいわば拡張された社会主義と位置づけてよいでしょう。「『不純な』システム」は,このような民主主義や市場経済の論点を含めた表現で,現行の社会主義と自由主義の各システムの組み合わせも念頭においていたものと考えてよいかと思います。また,本書における「集合的選択」は,単一の組織や国家内だけでなく,組織間や国家間を含めた世の中全体の意思決定を視野に入れたものと思われます。本書が「『不純な』システム」を擁護するとき,対立を続ける社会主義と自由主義の両陣営に対する,「武器をおいて,話し合いの席につけ」というメッセージも込められていたように思われます。


I. 冒頭の段落について」の本文や上記の紹介文では,一部,訳書の表現を修正した上で参照している部分があります。どうぞご留意ください。表現の修正の内容やその理由についてはII. 読解のポイントを探る」にまとめています。

本ホームページの『集合的選択と社会的厚生』の検討は著者の思想的背景の分析を含みますが,それは学術的な関心に基づくものです。私個人の思想的背景などとは特に関連しませんので,この点もご留意ください。



〔本ホームページの主な内容〕

I.冒頭の段落について

(「冒頭の段落について」の本論は右画像をクリックして下さい。)

冒頭の段落について


II.読解のポイントを探る

 本書は通常の文章の方が奥深く,時間のかかる面があります。個人的には,先に多義的でない数学面から確認していくのが判りやすいかと思います。

 つまり,まずは1*章から10*章までの数論に集中するのがお勧めです。証明を含めて,すべて理解しようする方がよいでしょう。ときどき,数論の背景を確認するような気持ちで1章から11章の通常の文面にも目を移します。また,最初から原書を準備して,訳文と合わせて検討していくのがよいと思います。

(右画像をクリックして下さい。)

読会のポイントを探る



[2010年5月8日 初版をアップ](最終アップデート:2015年9月9日)

※ 本HPは,群馬大学社会情報学部教員の岩井 淳の個人ページです。お気づきの点などございましたら,iwai[at]si.gunma-u.ac.jp宛にお便り下さい。すべてのメールにはお返事できませんが,ご了解をお願い致します。



 

「冒頭の段落について」の概要紹介

母国をロマンティックに美化して歌いあげることと,社会にかんする恣意的な目的関数を最適化することとの間には,共通する何かがある.これらの行為は価値あるものであるし,確かにしばしば行われてもいる.けれどもこの本は,私が思うに,そのどちらにもかかわらないものであろう.われわれの研究の主題は,政策の目的と社会を構成する人々の選好や願望との間の関係である


(『集合的選択と社会的厚生』第1章「はじめに」1.1「予備的注意」より第1段落)